金鑽大師に引き続き、金鑽神社へ向かう。
神仏分離以前には金鑽大師と金鑽神社は一体となった寺だった。そのため、仏教の伽藍である多宝塔が金鑽神社境内に残っている。
境内は国道をはさんでつながっているから金鑽大師からは徒歩でも行けるが、金鑽神社の駐車場は参道のかなり奥のほうにあるため車で移動。異論はあると思うが、無駄な徒歩の往復を嫌うのは基本的に私の観光スタイルでなので。
一の鳥居を過ぎると社家がある。
すぐに二の鳥居。
二の鳥居を過ぎて少し進むと小さな末社がある。
さらに進むと右手の山の斜面に多宝塔が建っている。
これ、実はお寺に興味を持った中学生のころの私が「五重塔、三重塔以外に、多宝塔っていう変な塔があるらしい」って知ってから、初めて見た実物の多宝塔である。高校生になってからは友達と学校帰りに自転車で遠乗りして見に来たりもした塔だ。
多宝塔の特徴はなんといっても木造建築なのにドーム型の形状があること。その部分は「亀腹」と呼ばれ、一般的には漆喰で作られている。だが、この塔では大和塀みたいな意匠の板張りになっていて、そのせいで全体的に茶色っぽくて地味。多宝塔は正方形の中に正円の意匠を取り込んだ、曼茶羅を体現した建築だから、わびさびではなくもっと華やかさがあってもいいのが、私にとって初体験となった多宝塔はとにかく地味という印象だった。
しかし塔として全体的なバランスはよく、目の保養になる塔だとは思う。
建築年代は心柱の墨書から天文3年(1534)、つまり室町末期ということになり、北関東の建築物としては中々の古さ。国重文に指定されている。
ただ、外装や床束などを見ると室町時代という時代感はなく、何度も補修されているのだろう。
ちなみに、床下にも亀腹が造られることが多いが、この塔は床束が丸見えの素朴な構造。
駐車場は多宝塔のところにあるので、神社にお参りするにはここまで車で行くのがいいと思う。
多宝塔から先は徒歩となる。
まずあるのが社務所。
参拝客が多い神社らしい、華やかな感じの社務所だ。
渡廊で接続した住宅風の建物もある。
宮司が常駐している家かな。
源義家が奥州討伐の際に奉納したという伝説を持つ駒繋ぎ石。
社務所から先は、いよいよ神々しい雰囲気になってくる。
義家橋と呼ばれる神橋。
もとはやはり源義家が寄進したといわれる。
三の鳥居。
正面には神楽殿が見えてくる。
拝殿は右側にある。
かなり立派な水盤舎。
神楽殿。
参道は右に折れて、拝殿がある。
拝殿の後方には向唐門の中門があり、その先に本殿はない。
背後の山がご神体だとされている。
拝殿の右側には神饌所と神庫がある。
神饌所って立派な神社にしかないので、これがあると私の中ではかなりウレシイ。
続いて、奥宮のほうへ行ってみよう。
ちょっとした山登りにはなるが。
ええ~~~っ!!
鏡岩見学できない!? そりゃないよ~
この神社のご神体ともいえるすんばらしい地質の露頭で、半分はこれを楽しみに来たのに~
きょうは奥宮参拝はあきらめ、またの機会に出直すことにしよう。
(2014年05月25日訪問)