那須家住宅のすぐ隣に神社があったので立ち寄っていく。この神社の敷地にある資料館と那須家住宅の入場料がセットになっていたからだ。神社の名前は椎葉厳島神社。椎葉村に伝わる伝説にまつわる神社である。
伝説によれば、鎌倉幕府が平家残党の討伐のために、那須与一の弟、大八郎を九州に派遣した。大八郎が椎葉村に来てみたところ平家の落人たちは農民に身をやつし、すでに叛意を失なっていた。それを見た大八郎は哀れに思い、幕府には村人を討伐したという嘘の報告をした。
その後、大八郎はこの地にとどまり、平清盛の孫娘、鶴富姫を娶り、滅亡した平家の霊を慰めるためにこの地に厳島神社を勧進したという。
大八郎はその後命令で帰国したが、鶴富姫には娘が生まれていた。椎葉村に那須姓が多いのは、鶴富姫の子孫だからだという。
鶴富姫化粧の水とされるもの。
新しいし、後付け感が強い。
石段を登ったところには資料館と相撲の土俵があり、土俵は修復中(?)だった。
そこからさらに石段を登ると境内になる。
境内中央には妻入りの縦拝殿。
宮島の厳島神社の拝殿・本殿の造りはざっくり言えば八幡造りだが、拝殿の前にある祓殿という建物が妻入りの建築で、この拝殿はそれを模しているのかもしれない。
拝殿の左側には護符売り場。
拝殿の右側には水盤舎がある。
拝殿の側面は4間中3間が蔀戸、1間ははめ殺しになっている。開け放てば側面は開放できるが、正面3間のうち2間がはめ殺しだから、宮島の厳島神社のようにスケスケにはならないだろう。
でも側面だけを開放しようという社殿は珍しいのではないか。
本殿は一間社流造り。
境内には椎葉民俗芸能博物館がある。
神社に伝わる神楽を中心とし、村内の農耕や狩猟の展示もある。
その中で、幣束などの祭礼の装飾の点数が多く、地方の民俗資料館としてはかなり見ごたえがあると思う。
奥村という字(?)に伝わる、ミコウヤという祭壇。
民家の座敷に作られるものだという。
魔よけの民俗資料。
神事に使う弓と的。
盆棚。
民俗資料は紹介しきれないほどあり、みんぱくの展示を思わせる充実ぶり。
(2012年03月22日訪問)