穴吹町半平のタバコ農家

上葉を先に収穫する方法を受け継いでいる。

(徳島県美馬市穴吹町古宮半平)

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吉野川の支流、穴吹川をさかのぼっていくと、古宮郵便局を過ぎたところで川の流れは急に東に変わり、V地谷の険しい風景になっていく。

この上流には三木家という非常に古い家があり、大嘗祭(天皇の即位にまつわる行事)の際に麁服(あらたえ)という織物を献上することで知られる。徳島県内でも秘境的な雰囲気の地域である。

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ここに半平山という標高1,016mの山があり、その南面に大規模な地滑り地形がある。

四国山地のソラの集落の多くは、こうした地滑りの跡に成立している。地滑りといえば災害のイメージだが、それは何十万年という単位で起きたもので、人間がそこに暮らすようになった中世から21世紀までの時間などは、一瞬のことでしかない。

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地滑り跡の傾斜が緩い場所は、谷底の川沿いに比べれば日照時間も長く、山の中でも農業が可能な貴重な土地なのだ。

これから紹介する阿波葉農家、緒方家はその地滑り地形の集落にある。

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これまで紹介してきた阿波葉農家の中では際立って山深い場所なのだが、敷地や圃場は完全に南向きで日照時間も著しく長い。

敷地の前は急激に落ち込む谷だから、家の前はまるで空中のような雰囲気だ。言ってしまえば、東京のタワーマンションの上層階の南向き物件のような感じなのだ。

緒方家を最初に訪問したのは2008年6月30日。それから何度か訪れて、葉タバコ生産の様子を見せてもらった。

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まず、緒方家の施設について見てみよう。

写真手前の折り板張りの建物は主屋。

四方蓋造りだが、下屋の部分も拡張して部屋になっている。たぶん浴室などもこの拡張部分にあるのだろう。

その奥にみえる2階屋は、私の言うところの「隠居屋」。ご主人に建物の名前を確認したところ、これは「納屋」だという。

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でもよくよく聞いていくと、主屋よりも新しく建てた家で年寄りが寝る場所だという。

年寄りが子どもに家督を譲ると食事は主屋で一緒にするが、離れの2階で寝起きしていたということだった。

徳島の隠居制度の研究はなんだかものすごく古い制度を対象としていて国重文の民家などを例として説明されるが、両親がハナレに別居するというような生活はおそらく昭和では普通だったのではないか。

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主屋前の石段を降りると地下室のような部屋がある。

このように石垣の中に空洞を作って、上に土を載せて地下室にしたものをを「ヤマト」というようだ。

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隠居屋は崖屋で実質木造3階で、地下は牛小屋になっている。

かつては牛は肥料の生産と畑の耕耘に使われていた。

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緒方家の乾燥室は主屋の崖下と、畑の中の2箇所にある。

主屋の崖下の乾燥室は専売局がデザインしたいわゆる「ハウス」型の新しい建物。建てられてのはご主人の記憶によれば昭和40年ごろ。

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屋根には北側向きの気抜きがある。

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構造は木造和小屋で、南側のみが半透明の波板になっている。

他の阿波葉農家では天井も半透明だったが、緒方家は日照が良すぎるので天井は光を通さない造りにしているのではないか。

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乾燥機は灯油式で、室内に設置されてた。

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この乾燥室で注目しなければならないのは、写真の天井に張られた鉄線。これは「幹干(みきぼ)し」のためにあるそうだ。

幹干しは葉タバコの乾燥の古いやり方だ。

緒方家の幹干しでは、本葉から上に葉が5~6枚になったら幹に刻みをいれて畑で枯れさせ、萎れてきたら畑からこの乾燥室に運び込む。この作業は好天が続くときにやらなければならない。

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運び込んだ幹はその刻みの部分をこの針金に引っ掛ける。

その後は、拡げたり寄せたりなどはせずに動かさない。それで綺麗な色に仕上がるという。

現在の最後まで葉を摘んで連干しするよりも品質が良くなるが、なにせ残りの葉が小さいうちに枯らしてしまうから収量が少なくなるのと、暑いときにやるため大変だったという。現在はもうやっていない。

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もうひとつの乾燥室は畑の中にある。

この乾燥室ができる前は屋外の干し場と主屋の中で乾燥したそうだ。奥さまが子どもの時代だという。そのころには現在の天井はなく屋根裏まで吹き抜けだった。煮炊きの囲炉裏がある部屋に吊ったので、囲炉裏から登る煙で葉がゆらゆら揺れていたのを覚えているという。

そのころは部屋の広さの関係で連縄の長さが2間半だったそうだ。

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乾燥室の前が干し場になっていて、導線は良い。

こちらの乾燥室は2階相当の高さで、棟に小さな気抜きがある。

2階相当の部分に換気窓があり、いわゆる「蒸屋(むっしゃ)」の構造。高尾家で見た窓とよく似ている。

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いまはあかくなった下葉を少し収穫した程度なので、干し場は空いていた。

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蒸屋の中を見せてもらった。

中は2階相当の吹き抜け構造だが、途中に梁が並んでいるので、1階と2階を意識した造りになっている。

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あれ? 小屋組みの中に「回転蔟(かいてんぞく)」と改良藁蔟用の「蔟固(まぶしがた)め」があるじゃないの。養蚕の道具だ。

聞いてみると、緒方家は養蚕もしていたという。

専用の飼育場所はなく、主屋の中で飼ったそうだ。そのころは現在のハウス式の乾燥室はなかった。掃き立てからやったこともあり、後に稚蚕共同飼育になったそうだが、ご当主が子どものころのことなので細かいことはわからないそうだ。そのころはとても忙しかったという。この蔟の量からしたら2万頭くらいは飼えそう。

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蚕は葉タバコから揮発する成分で中毒を起こすので、桑園はタバコ畑から離れた場所にあって、そこで桑を収穫して家まで運んだ。

カイコが中毒を起こすことを「カイコが酔う」といっていた。

タバコだけでなく、カズラ(サルナシ?)でも中毒を起こすので桑畑の近くにあれば抜いたという。

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蒸屋の床下。これもヤマトの一種かな。

平地が少ないのですべての空間が無駄なく使われている。

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タバコ畑は建物が並ぶ平地の下の方向にある。現在は約15アールの面積で栽培している。

最盛期には45アール栽培して、そのころは家族6人、子どもも働いていた。干し場が足らなくて、畑の中にも柱を建てて干した。畑の中の干し場は意外によく乾いたが、雨が降ると取り込むと大忙しだった。この土地では北側の空が暗くなると雨になるので走って畑に行った。

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昔は畝間に自家用の小麦を植えたこともある。麦を収穫したあとは土寄せをするのが大変だった。

現在はタバコが終ってから畑の一部で秋蕎麦を育てる。

タバコと同時に栽培すると良くないのがジャガイモ。ジャガイモにつくアブラムシがえそ病という病気を媒介してタバコに被害が出る。ジャガイモには殺虫農薬が散布できるがタバコは葉が売り物だから殺虫剤が使えない。一度近くに植えてタバコに被害が出たことがあるという。

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2008年の作柄は良好。

今年はこれまで雨も少なく好天が続いたので実入(みい)りがいい。「実入り」とは葉に十分に栄養が入って厚くなることだ。

畝には銀マルチを使用している。マルチを使う家と使わない家がありそれぞれ考え方があるようだが、緒方家では部分的にマルチを使っている。ただマルチは強風などで株が倒れたとき土を寄せて起こすことができないのがデメリットだそうだ。畝にマルチをかけた状態で土寄せするのはとても体力が必要で、男の人でなければできないという。渕名の農家ではマルチをしたうえで支柱をしていたので、阿波葉でマルチを使う場合は支柱との組み合わせが必要なのかもしれない。

また、地形的に畝が東西になるのでマルチの中で根が南側に寄ってしまうのも難点だという。

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次に訪れたのは2008年7月26日。前回から約1ヶ月たっている。

畑を見てみるとびっくり!

葉を上側から収穫してある!

このやり方は、ご主人の父親が生子(しょうじ)という集落の村上家という農家でやっているのを聞いてきて始めたのだという。村上家は品評会で成績がよく、全国の優良耕作者表彰された家だった。

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下葉(したは)の収穫が終ったら、中を残して上から取っていく。

このやり方のメリットは、最も重要な合葉(あいは)本葉(ほんば)に栄養が集まるということと、葉の部位が数えやすく仕事がやりやすいことだという。

タバコは芯止めしたところの葉が一番上の上葉(うえは)で、そこから下方向に5分類することになっている。多くの農家では下側から取っていくが、収穫するときに手前の葉があって見づらいし、遅れている株があったりすると収穫する位置(高さ)が揃わない。

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上から取ると、葉の様子が見やすい上、葉の付き位置が揃うので作業がしやすいという。

この方法は私が訪れた他の阿波葉農家では聞いたことがないテクニックだ。

ただこのやり方は奥さまが「ホントはいかんのじゃきに」というようにデメリットもあり、台風が来ると良いところの部位の葉が飛ばされてしまうということと、干し場がたくさん必要になるため、乾燥場が狭い農家ではできないという。

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きょうアオバ取りしていた葉が編み込まれて並んでいる。

連縄への編み込みは簡単に見えて、慣れるまで難しいという。最初のころは中々うまく挟めなかったそうだ。

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こちらはこれから使う連縄。

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これは緒方家で「()れ」と呼んでいる道具。

連干しした並びの外側が乾きやすいので風よけに取付けるものだ。

元山家では「編み垂れ」と呼んでいた。

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干し場には黄色と緑色の葉がくっきりと分かれて吊られていた。

干し場の先は急傾斜なので、まるで空の中で葉を並べているよう。

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黄色種では現在のバインダ形式になる以前にロープに葉を編み込む機械があったそうだが、阿波葉では過去にそうした機械が使われた時代は一度もなかったそうだ。

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アオバの端には編み垂れが下げられている。

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連縄に藁を挟み込んで作ったものだ。

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それでも乾き過ぎてしまう場合は、遮光幕や(こも)を上に載せる。昔はカヤを編んだものを被せたという。

葉の切り口が乾くと「水抜け」が悪くなるので、特に上側が乾かないようにすることが重要だという。

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次に訪れたのはベーハ小屋研究会コラボ遠足。

2009年7月26日。阿波葉最後の年である。

今年も作柄はまずまず、後は台風が来なければ、と語るご主人。

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ハウス式乾燥室の内部。

こちらには仕上がった葉が格納されている。

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蒸屋側にも仕上がった葉が入っていた。

蒸屋の内部は中間の高さに梁があるが、その梁に板が載せてあって完全に2階のようになっていた。

上の段の吊り込みはこうやって作業するのだ。

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いま2階の最上段を吊っているところ。

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1階部分は人の背の高さくらいしかない。

2階に2段吊ったら床板を外しながら3段目を吊り、1階には2段、最大5段が収納できるのだろう。

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ところで、緒方家の敷地の前はほぼ空中で、風景は谷の反対側の山並みが見えるだけだ。

だがその山並み全体の中で2箇所だけ、人間の営みが見える箇所がある。

ひとつは主屋から見て左の方向の山中。

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そこは生子屋敷(しょうじやしき)という字で数戸の家があるが、そのうち1軒だけが見えるている。

この場所には車道もあるので現在でも住人がいる。

よく見ると越屋根を載せた古い蒸屋もある。もしかしたらタバコの葉を上から葉を取ることを教えてくれた家があったのはこの字かも知れない。

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もうひとつは畑から右側に見える山中の一軒家。

昔は遠い山の中に見える家を見ては、お隣さんもよく働いてるなウチもがんばろう、などと思ったのかもしれない。

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この家は谷底の国道からは標高差120m以上ある北斜面で、徒歩でしか登れない。現在はもう人は住んでいないだろう。

こうした家がどうしてできたのか、平地に暮らす私にはまったく想像できない。

(2008年07月26日訪問)

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