初めて訪れたのは2008年7月6日。
建物は右からベーハ小屋、納屋、主屋、納屋(隠居屋?)となっている。
ベーハ小屋には煙突も残っていて、明確に黄色種の施設なのだが、渡辺家では黄色種をやったことはないという。
ちょっと質問のしかたが悪くて、1~2年やったが話の上で端折られてしまったのかもしれない。
いまベーハ小屋の軒先にはこの春に収穫した小麦が干されていた。
阿波葉は主屋の前に10アールほど生産していた。
2008年はとなり村の南家と同じく上々の作柄。
タバコ畑はビニールのマルチを使用しておらず、藁マルチで丁寧に草除けしてある。
おかあさんによれば、ビニールのマルチをすると株が不自然に大きくなるのと、面倒くさいので使わないという。
渡辺家は、希少な阿波葉農家という視点もさることながら、山間地農家の仕事について見るべきところがある。
2009年5月31日。
定植後の様子を見に来た。
タバコが去年と違う場所に植えられている。阿波葉農家で輪作しているのは初めて見た。
渡辺家は家の前に約30アールの平坦地、傾斜地を含めれば60アールの畑地がある。現在の規模なら条件のよい場所だけを使っても1年おきに輪作できるのだ。
渡辺家のおかあさん。
いまはご主人が農業年金をもらっていて体調もすぐれないことからおかあさんが葉たばこ生産の登録者となっている。かつてはタバコ組合の地域の代表を務めたこともあるという。
とにかく話し好きな人で毎回長居してしまうのだが、その間にも人が尋ねてくることが多く、人が来やすいお宅なのだ。
畑は畝間に山から集めてきた落ち葉を敷いている。
意識高い系の遊びみたいな畑じゃなく、専業農家でこうした伝統的な方法で畑をしているところってどのくらいあるのだろうか。このやりかたで3人の子どもを大学にやったとおかあさんが自慢気に話す。
いまでも芯止めやワキ芽掻きで忙しいときは、兵庫県に勤めている息子さんが手伝いに来てくれるという。
主屋の前にあるタバコの苗床。
これ、古いやり方じゃないのか?
いま、葉たばこの苗は耕作組合の施設でコメの育苗箱に播種されて農家に配られている。阿波葉の種は細かすぎて均一に播種するのが難しいので、水撒きという方法で水と一緒に散布する。専用の散布機が組合にあるのだろう。
農家に苗が届くと、育苗箱からペーパーポットに移植してそこで2週間くらい育ててから畑に植えると聞いていた。
この苗床は、カヤや落ち葉などを底辺に敷き、上にふるいに掛けた土を載せて作ったもの。下部の落ち葉の発酵熱で上部の土を暖めるという仕組み。
いま思えば、この仕事こそ足しげく通って見ておくべきだった。
今年は4,000本の苗を植えた。植えた本数は申告しなければならない。以前は検査があり余計に植えてある苗は抜かなければならなかったという。
苗床にいくらか株が残っているが、畑で枯れた株があってもいまから補植すると揃わないのでそのままにする。
2009年8月18日。
だいぶ収穫が進んでいる。だが、空洞病の株も目立つ。今年は病気が出た農家が多かった。
渡辺家にはハウス式の乾燥室はないので、露天での日干しが基本だ。
主屋の前のニワとベーハ小屋の前の敷地に連干ししている。
もう乾燥の最終段階のようだが、端には編み垂れがかけてあった。均一に仕上げるためだろう。
ベーハ小屋と連干しが同時に見られる不思議な風景。
このとき、去年阿波葉があった主屋の前には
作付け面積は3アールくらい。
これはご飯になる
陸稲の花。
渡辺家は家の前の畑で、ソバ、オカボ、コムギなどを自家用の穀類を作っている。
2010年8月1日。
阿波葉は2009年までで生産が終わったのだが、県西に行くときにときどき渡辺家には顔を出した。
タバコの苗床も片付けられている。。
今年もオカボは作っていた。
玄関前にタカキビが置かれていた。
いま趣味で箒を作っているという。
中々に上手な仕上がり。売り物になりそう。
ほうき作りはおとうさんのほうが得意だという。
庭に鉢植えのタバコがあった。
タバコは育てること自体には免許など必要ない。タバコの葉を発酵させて喫煙できる状態に加工するのが違法なだけなのだ。
このころ構造改革特区という制度が町おこしに利用されていて、酒税法の適用を免除するどぶろく特区などが誕生していた。三好市では刻みタバコを小規模に製造するタバコ試飲特区を作ろうとしていたようだが、財務省からは厳しい回答があり、実現はむずかしそう。
2010年10月2日。
オカボが頭を垂れるころまた立ち寄ってみた。
このときオカボの種を少しいただいた。
家で育てて何キロか収穫できたけれど、この畑みたいにきれいにはできなかった。
これはトウモロコシかな。
小さい品種なのか。
鉢植えの秋タバコが花をつけていた。
これから阿波葉は花をめでる植物として細々と残っていくのだろうか。
(2008年07月06日訪問)