池田町白地のタバコ農家

蒸屋で薪を焚く古いやり方を残す阿波葉農家。

(徳島県三好市池田町白地フコヲヘ)

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池田町白地(はくち)にある阿波葉農家、喜多家。池田町といっても山城町に近い山中にあり、徳島市内の私の家からは片道80kmの距離がある。阿波葉農家を順番に訪ね廻ってて最後に知ったお宅だが、その中で最も見どころのある農家だと考えている。私は阿波葉の乾燥室である「蒸屋」に特に興味を持っているのだが、喜多家はポリカ波板のハウス式乾燥室を持たず、2棟の蒸屋で葉タバコを乾燥するという古い仕事の進めかたをしていたからだ。

おかあさんが「古いものばっかし、ウチは。新しいもんないんよ。」と自笑的に言うが、喜多家には昭和時代と変わらない山の農家の暮らしに見るべきところが多く、それも含めて紹介していきたい。

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施設は右側から、蒸屋、長屋門つきの納屋、主屋、堆肥舎、牛舎、蒸屋(むしや)となっている。

特に目を引くのが、車道側にある二つ櫓の蒸屋だ。

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敷地にはほとんど平地はなく、石垣を積んで作ったニワはほぼ阿波葉の干し場となっている。

木の柱に単管の専用資材で作られた干し場。

主屋は現在切妻の二階建て。かつては藁葺(わらぶ)きだったそうだ。もしかしたらそのときは寄棟だったのじゃないかな。

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黒い下見板の建物は堆肥舎。上のレベルにある牛舎で作った堆肥を投げ落として、地下部分から取り出すようになっている。

左側の波トタン張りの土蔵が蒸屋。蒸屋が2棟あるがこちらのほうが古い。

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堆肥舎の隣りにある牛舎。

昨年まで堆肥を作る目的で牛を飼っていた。

昭和38年ごろまでは畑の耕耘にも使っていたという。

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その牛に踏ませて作った堆肥は今年まで残って、最後のタバコ生産に使った。

阿波葉の生産が今年で終わるので、それを機に牛を手放したそうだ。

牛舎の中はまだ当時のまま手が入っておらず、とっても生々しく、いまにも牛が出てきそうな雰囲気。

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おかあさんは働き者。傾斜地の畑に家族の食料と、直売所に出荷する作物を作っている。訪問するたびにお土産に野菜を持たせてくれる。

喜多家が作っている作物は私が見たかぎりでもコメ、コムギ、ソバ、大豆、サツマイモ、サトイモ、ジャガイモ、トウモロコシ、ショウガ、ゴマ、椎茸、スイカ。

メインの換金作物が葉タバコだ。

家の周辺に約30アールのほど畑地と、少し離れた谷あいに20アールの田んぼがある。

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家の前の畑は傾斜が19度あり、畝立てなども人力。

かつては管理機も使えたが、年をとると傾斜地で管理機が滑り落ちないようにする力がなくなったので、鍬で畑をしている。

初めて訪れた7月4日にはサツマイモを定植していた。ここは標高があり気温が低いので、他の場所よりもすべての作物が遅れ気味になるが、今年は小雨のせいでさらに成育が遅れているという。

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長いあいだ、食料の多くは自給自足で、自分たちが食べるのには困らなかっただろう。

おかあさんの話では、かつては自動車などがないから、町に塩などを買いに行くのは弁当を持って1日仕事だったそうだ。

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初めて訪れた6月28日には稲架にコムギが掛けてあった。

池田の阿波葉農家は南家渡辺家もコムギを作っていたから、これがかつての普通の山の農家の暮らしなのだろう。

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家から少し離れたところにある棚田。

全体で20アールある。1人が1年で食べるコメは1石(150kg)と言われ、10アールでは3.3石ほどのコメが作れる。ここは棚田で収量が少な目とはいえ、現代ではコメ以外も食べるから喜多家3人家族が食べるコメは10アールで十部に賄えるという。

この棚田についてはいつか『阿波國すきま漫遊記 第20話』でページを取って紹介したいと思う。

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10月31日に訪れたとき、稲架にはコメがかかっていた。

喜多家ではこうしてムギやコメをはさ掛けしてから脱穀している。喜多家では脱穀したあとの藁も縄を作ったり畑に敷いたししてすべて使っていく。

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そのほか喜多家には山林があり、そこで薪をとったり、炭を焼いたりしている。

炭は自家用のほか、旅館などに販売して換金する。

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1軒の農家が、石油やガスをいっさい使わずに薪だけで生活するのにはだいたい1ヘクタールの山林が必要だという。

このあたりに電気が通ったのは昭和22年。それまでは灯はランプかロウソクだけだった。

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タバコ畑は3ヶ所の圃場に分かれていて、合計で20アール。

今年は小雨で苗の生長が遅れ、その後の成長も遅れている。阿波葉の定植は4月27日前後といわれるが、喜多家では遅霜もあるので例年は5月3日に定植している。それが今年は5月10日に植えた。つまり一般的なスケジュールからは2週間遅れていることになる。

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7月4日時点での成育状況はとてもよい。

喜多家ではマルチは使わない。傾斜地で畝間が狭いのでマルチができないのだそうだ。藁を粉砕したものをマルチとして敷いている。

この場所はタバコの害虫が少なく、農薬の使用量、堆肥も他の農家に比べると少ないという。

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芯止めが終わっていないタバコの花畑。

一番高いところにある圃場から吉野川を見おろす。吉野川の先行谷だ。

見えているのは三縄の町でJR三縄駅がある。息子さんは池田高校へ通ったが、入学直後はオートバイの免許がないので駅まで毎日片道8kmの道を歩いたという。

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ここからはタバコの乾燥室を見ていこう。

まず、南側にある古いほうの蒸屋。

建築年代はおそらく戦前。まだ電灯がなかったころ、夜の仕事で提灯をつけていたのが、人がいないときに火事になり再建したという。

2階相当の高さで内部は吹き抜け。妻側には観測窓を兼ねた換気窓が3つ。

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土台のうえには回転式の地窓。

こうした構造が典型的な阿波葉の蒸屋である。

円筒状の機械はストーブ。たばこ耕作組合が推奨するので買ったがほとんど使わずじまいだった。喜多家では薪で乾燥室の空気を暖めるからだ。

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乾燥室内部の壁や天井は火を使っているので燻されて黒光りしている。スス竹を売ってくれないかと言ってくる人がいるという。

吊り木は5段。1段につき12~15本の連縄をかける。

上のほうにかけるときはハシゴを使う必要があるが、おとうさんが吊り木3段目くらいの高さから転落して足を骨折したことがあるそうだ。

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床は土間で中央に囲炉裏が切ってある。

いまでもここで火を燃やして葉を乾燥する。

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これは「ワンゴロ」という連干しの際に梁に通す輪だ。その後金属製の輪になったが、喜多家ではまだ木製のものも使っている。

原料は蔓性の植物ではなく樹だという。樹の名前ははっきりわからなかったのだが、ハンノキかもしれない。

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これは「(ふご)」。畑で収穫した野菜や薪などを運ぶ縄で編んだショルダーバッグ。

手製で専用の治具で編む。10年は使えないという。

新水家では「もっこ」と呼んでいたが、こちらでは「ふご」。

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蒸屋はもう1棟あり、こちらは二つ櫓を載せた建物。こうした形式の建物は県西の山間地に多く見られるがすべて阿波葉の乾燥室だろう。

こちらも2階相当の建物で内部は吹き抜け。

2階部分の換気窓の開け閉めは外側の竿で行なう。

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秋ごろになると内部はタバコでいっぱいに満たされ、こんなふうに窓が開く。

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地窓も開閉可能。

内部で火力を使って換気するとき、晴れている日に開いて外気を取り入れる。雨の日は湿気が入るので閉じておくという。

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この蒸屋は現在は左半分は部屋になっている。部屋には床が張られていて、タバコの調理(仕分け)に使うのとおとうさんの隠居部屋になっている。

右半分が土間の乾燥室である。

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乾燥室の内部を見せてもらう。この乾燥室は平面が長方形で長辺が2間半あり、囲炉裏も2ヶ所切ってある。

そのうちの奥側は食事の煮炊きに使っていた。冷蔵庫などもあり、まだその当時の雰囲気が残っている。主屋にカマドを作ったのは最近なのだという。

10年ほどまえにNHKの番組で笑福亭鶴瓶と三宅裕司が来て、この囲炉裏部屋が紹介されたと自慢気に話すおかあさん。

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調べてわかった範囲では『鶴瓶の家族に乾杯』第13話 年末スペシャル「憧れの田舎暮らし」という番組が1997年12月27日に放送されていて、おそらくその取材だったのだろう。

『鶴瓶の~』は撮影はアポなしのぶっつけ本番だが、訪れる場所は秘密裏に調べて決めてあるという。情報源は役場かNHK徳島支局かわからないが、よく喜多家を把握していたなぁと思う。

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こちらの乾燥室も室内で薪を使うので室内の壁は黒光りしている。

タバコ乾燥室が研究され作られるようになったのは明治後半で、それまでは主屋の中の囲炉裏のある部屋などにタバコを吊っていた。囲炉裏から登る暖かい空気で葉が揺れているのを覚えているという人もいる。そういう意味では喜多家でタバコの下で煮炊きをしていたというのは決して不自然な状況ではないのだ。

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乾燥室の一番西側にはおとうさんの隠居部屋がある。

おとうさんに話を聞いても「おかあさんや息子さんに怒られずに好きな酒を飲みたいのでここで暮らしている」というような言い方しかしないけれど、これは徳島の山村の家督相続の形なのだ。おとうさんが主屋を出たということは、息子さんが喜多家の主になったということである。

先代のおとうさんも納屋の別の部屋に隠居したとのこと。

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稲刈りも終わり秋も深まったころ訪れたら、おとうさんの仕事もタバコの乾燥の管理が中心となるので、この部屋でのんびりしながらすごしていた。

この部屋の真上には2階がありそこはおとうさんの寝所になっている。つまり、いま主屋ではおかあさんと息子さんだけが住んでいて、おとうさんは食事以外は隠居屋で寝起きしているのだ。

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徳島の山家で主屋の横に2階建ての新宅があるのは隠居のためではないかと思っているのだが、これまで明確に隠居による家督相続を見聞きしたことがなかった。喜多家は私が実見した隠居の唯一の実例だ。

隠居部屋の隣りは作業場になっていて、ここで「調理」を行なう。調理とは乾燥が終わったタバコを分別する作業だ。

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9月1日。収穫のさなかにお邪魔した。

一般的な阿波葉農家では8月15日くらいまでにあらかたの収穫が終るそうだが、喜多家は気温が低いので作物がすべて遅れがちになるうえ、今年は小雨で定植が遅れたからさらに遅れているという。

8月になって長雨が続いたが、阿波葉は雨の日に花芽を掻いたり葉を取ったりするとそこから腐って病気になる。

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喜多家では成長も遅れていたので、雨のときには花を摘む程度で収穫をしなかったので、今年は遅れているものの例年になく葉が大きく育った。

例年はマルチや肥料の面であまりお金をかけないせいか喜多家では葉が小さめだったそうだ。JTが買い上げるとき、本葉という大きめの葉を上葉という小さめの葉の間違いとみなされて計算されてしまったこともあるという。

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今年はいままでになく立派な葉が取れた。

ただ、色の濃いほうの葉はまだ熟していないので、乾燥がむずかしく、品質が悪くなりがちだという。現在のように阿波葉が紙巻きタバコに使われる以前、キセルの刻みタバコだったころはこうした目方のある葉のほうが良いとされた時代もあったそうだ。

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連縄への編み込みはいまは2人でやっている。

最盛期には27アールのタバコを作っていた。そのころはまだおとうさんも若かったので、倉敷の繊維工場などに出稼ぎに行っていて、いまのおかあさんと先代でタバコを作った。編み込みは夏休みにあたるので中学生がアルバイトに来た。大人の日当が300円台だったころ、連縄1本の編み込みに10円を払っていたから子どもたちにはいい小遣い稼ぎになったろう。

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編み込みの様子。

編み込みながら、縄が切れそうな箇所に新しい藁を撚って縄自体も補強していく。

古くなると細いところが切れやすくなったり、保管中にネズミがかじってしまったりするのだ。

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そのため作業場には稲藁が準備されている。

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縄はすべて自家製。縄ない機で作っている。

今年も少し縄が足らなくて作ったばかりで、まだその作業の跡がそのままになっている。

民俗資料館などでよく見かける機械だけど、必要で日々使っている農家っていまどのくらいあるのだろう。

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青々とした葉が縄に揺られる。

阿波葉は株の下の葉から熟して色が変わった部分から何回にもわけて収穫する。だが、残りが少なくなった時点で残りの葉は青いまますべて取ってしまう。これをアオバ取りという。

喜多家では8月末からアオバ取りになる。

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アオバ取りした葉は急激に乾燥させると緑色のまま乾いて品質が下がるので、風通しのない場所に干していく。

一番手前は乾きやすいので、熟して乾いている葉を1本吊るすことで乾燥しすぎを防ぐ。

他の農家では縄で編んだ乾燥防止の編み垂れというものを掛けるが、喜多家ではしないという。

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昔ながらの木製のワンゴロに連縄をかける。ワンゴロは木製のほかに竹で編んだものもあったそうだが、竹よりも木のほうが断面が丸いのですべりが良いそうだ。

喜多家ではこれは1人でやる作業で、片方の手はタバコを持っているので、片手で縄を縛っている。

タバコの重量もあり大変な仕事だ。

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この太い桁を「長枠(ながわく)」と呼んでいた。

円環状のワンゴロを使うので、途中に間柱を立てることはできず、太い木材にせざるを得ないのだろう。

その後登場した単管のレールとS環であれば、途中の間柱のところにも工夫があって通過できる。

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乾燥室の前にいっぱいに吊られた連縄。

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古いほうの蒸屋の前も連縄でいっぱいになる。

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乾燥室の内部にも乾燥の進んだ葉がたくさん吊られていた。

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乾燥室の内部の囲炉裏はまだ使わない。

葉を緑色から黄色にする発酵の工程では、自然乾燥が必要だからだ。

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蒸屋の高窓を空けて葉を乾燥させていく。

ホントこの窓の開けかたカッコいい。

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10月3日。乾燥の最終工程のころにお邪魔した。

乾燥室で火を使っている!

火は雨続きのときや、乾燥した葉にカビなどが生えないような管理に使う。

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火が直接当たらないように囲炉裏の上には鉄板を乗せていた。

タバコの乾燥には古い時代には火を使った薫蒸乾燥もあったが、石油ストーブに切り替わってきた。

蒸屋で薪を使って乾燥させているのはたぶん喜多家だけであろう。

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10月31日。稲刈りも終わり、葉の調理の時期にお邪魔した。

調理とは、葉を部位ごと、品質ごとに仕分けする仕事だ。この仕事はおとうさんだけでやる。

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連縄を外して、作業室へ運ぶ。

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調理の様子を半日見せてもらった。

葉は、上葉(うわは)本葉(ほんば)合葉(あいは)中葉(ちゅうは)下葉(したは)という部位ごとにわけ、さらに大きな部位では品質でABCの3種類に、下葉はABの2種類に分ける。

葉の見方は毎年標本会というのがあって、JTが農家を集めて実物の葉を見せて確認するという。今年は美馬町狙ヶ内の簡易宿泊施設で6月に開催されたそうだ。

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阿波葉がまだ刻みタバコの原料だったころは葉伸(はの)しという工程があった。葉を1枚1枚拡げて重ねる作業だ。

昔の伸し台を出してきてもらって葉伸しを再現してもらった。現在は葉が縮れている「巻き葉」が高品質の条件とされているので、こうして伸した葉は乾燥不良として等級が下がる。何枚か等級を下げてしまい申し訳なかった。

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分別した葉は50枚くらい集めてヒモで縛っておく。

部屋には紙巻きタバコの封を切ったときのような香ばしい良い匂いが充満している。

タバコというと健康に悪いイメージだが、農業としての葉タバコ生産は畑でも調理でも体に悪いことはないそうだ。むしろ出稼ぎに行っていたときには薬害で体を壊したこともあり「タバコは楽な仕事だ」という。働き者だから言える軽口だ。

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赤いヒモは出荷するときには外す。そのために目立つ色になっている。

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同じ種類の葉をまとめてシートで包んでいく。このまま置いておき、収納(出荷)の直前に圧搾梱包機で圧縮する。梱包機を使うとかさが1/3くらいになる。

喜多家はタバコだけでなく、生活のしかた自体が私にはめずらしく7~8回お邪魔してしまった。どうもありがとうございました。

(2009年07月04日訪問)