木沢村というだけでも山深い場所のなのに、そこからさらに人家がない山を登り詰めた尾根にお寺がある。
黒滝寺である。
現代ならば舗装道路が寺まで続いているけれど、自動車もないような時代によくこんな場所に寺を建てたなと、感心してしまう。
山門は三間一戸の鐘楼門の仁王門。
軒に斗栱や木鼻などの装飾が一切ない、極度にストイックな建築だ。
阿形像。
後ろには巨大わらじが下がっている。
吽形像。
修飾過多な縁起が書かれているが、要約すると、弘法大師が大龍寺で修行中、当地に龍が住み人々が困っていると聞いて龍を調伏しに来たという。近隣にはその伝説に関係する地名があり、祈祷をした場所が「祈祷
四国霊場は88ヶ寺の札所で構成されているが、それに加えて番外札所という寺が20ヶ寺、前札所、奥の院とされる寺が100ヶ寺強あるので、それらすべてを巡ると200ヶ寺以上の寺社が参拝対象になる。
伽藍配置図。
木頭川の川辺にあるように描かれているけれど、川からの標高差は500mはある。
このお寺のメイン伽藍の方丈。
方丈は語源は住職の住む部屋といった意味だが、現在では建築の機能や構造で分別できる。このような比較的大きな建物で、内部は畳敷きで6~9部屋程度が田の字に襖で区切られ、中央の部屋に簡素な祭壇(仏間)があるといった建物。
方丈を「本堂」と言っている寺も多く、私も「方丈ふうの本堂」などと説明することがある。
方丈に置かれていたおみくじ販売機。
賽銭箱にお金を入れて、穴に手をつっこんで取るというセルフ方式。
方丈の左側には中門があり、その左が庫裏になっている。
方丈の右側には本堂。
あまり本堂らしくない宝形のお堂だ。
本堂の右側にある大師堂。
本堂とは双子のようなお堂で、写真だけ見ているとどっちだっけ? ってなる。
実際は本堂と大師堂は90度の角度で建てられている。
大師堂の奥にある山頂湖跡。
かつて龍が住んだとされる沼だったが、現在は埋もれてしまっている。
戦国時代にこの山頂には山城が築かれ、長宗我部元親が阿波を攻めで城と寺は焼け落ち、この沼は僧兵の血で赤く染まったという。
庫裏から奥へ行く細道があったので進んでみた。
道はきれいに整備されていて歩きやすい。
しばらく行くと鎮守社があった。
伽藍配置図によれば三十八神社か。
この先には展墓台があり、上流の四季美谷温泉方面が展望できる。
こちらは寺の駐車場付近から見た木頭川下流方向。
数戸しかない苻殿集落が見える。
いつかこうした小さな集落をすべて訪れたいものだ。
(2004年06月04日訪問)