川島町の中央、荒川の広大な氾濫原の真ん中にあるお寺、広徳寺。この寺には国重文の大師堂があるので来てみた。埼玉県の仏教建築で国重文以上って数少ないので貴重な存在なのだ。
実は遠いむかし、学生時代にも見に来たことがあるのだが、そのときは夕方だったこともあって、国重文の凄みみたいなのがさっぱりわからなかったという記憶が残っている。
伽藍配置図。
寺の北側に堀のようなものが描かれている。
この寺の土地は平安時代の武将美尾屋十郎の館跡と考えられていてその名残なのかもしれない。まずこの堀を見てみよう。
寺の西側にも堀がある。
北側の堀。
水害時に被害を軽減するための構え濠とは違うみたい。やはり館の環濠か。
いずれにしても平安~鎌倉時代にかけての館だからもうかなり地形が変わってしまっているだろう。
お寺を見ていこう。
総門は楼門の仁王門。
学生時代に来たときから建て替わってる気がする・・・。
木鼻の唐獅子や獏だけは年代を感じるので、建て替えたときにここだけ残したのだろう。
金剛力士像は中々の迫力。オーソドックスな造形。
この楼門、背面の中央にも花頭窓があるのがかわいい。一つ目小僧みたい。
楼門を過ぎてすぐに左側に大御堂への参道がある。
大御堂は本堂のある境内からは外側にあって、有り体に言えば墓地の中に建てられている。
で、これが室町時代の建築で国重文ってことなんだけど・・・相変わらず・・・わからん!
外周の円柱は下の方で継いであるから古材ってことなんだろうけれど、その古材の部分も室町ってほどの風雪が感じられないのだよね。見た感じ明治どころか大正くらいの建材の時代感。
木造建築の宿命として補修は必要だから、ほとんどの部材が昭和とか平成の材木でもいいんだけど、外から見える部分に室町の建材がわずかでもあるのか? いまいったい何を見せられているのか、それを知りたい。
あと、自分的には京都の建築は別として、地方にある国重文室町建築の「室町らしさ、室町ならではの良さ」みたいなのがよくわからんのよ。この堂が室町らしいってこと?
文化財の案内板。
大御堂の参道には六地蔵堂がある。
基壇にお札が貼られていた。
特定の故人の供養のために彼岸のときに貼るみたいだ。
墓地にあった歴代住職の墓所。
無縁仏。
舟形、駒形、額縁、無縫塔、五輪塔など様々なタイプの墓石が並ぶ。年代的にも多様なのだろう。
太子堂の裏側には古墳になっている。
鞍部があるように見えるが、円墳。
いったん大御堂エリアから本来の参道へ戻る。
本堂エリアは白壁に囲まれている。
境内に入るにところに中門の薬医門がある。
本堂。
入母屋の妻飾りになにやら天女のようなものがいる。
妻に仏像があるの初めて見たかも。
本堂の右側には玄関。
さらに右側に庫裏。
本堂の左側には渡り廊下があり、御影堂に接続している。
内部には薬師如来と弘法大師の絵図が祀られているという。
玄関の前には池があった。
(2023年03月29日訪問)
