濡れ仏をみたところで、この日の予定はクリアした。あとはオプションで、気まぐれに寺を見ながら帰路につくだけである。
地図をみると矢本町に滝不動という文字が見えたので向かうことにした。
その近くにあったのが願成寺。旅の3日目にも同じ名前の寺があったなあ。
参道の入口には一間四方の宝形の堂。ボイスメモが残っていないのではっきりとはわからない。(扁額も読めそうで読めない。この当時のデジカメはホームページに貼り付けるのがやっとという程度の解像度しかもっていなかったのだ。)
しばらく進むと薬医門があり、その前にはまたもや石像の仁王像が。
今回の旅ではずいぶんたくさん石像仁王を見た。よっぽど営業熱心な石材店が活動しているのだろう。
境内に入るとなぜか露店が出ていた。お盆なので墓参の人々はぽつぽつと来てはいるが、何軒も露店が出るほどの人出ではない。実際写真にも人影は写っていないが、このとおり閑散とした状態なのである。
参道には後生車があった。
木製の後生車は鬼気迫るものがあるのだが、それに加えて軸の部分に天秤のようなザルが下げられていて、これが閻魔大王が死者の生前の業を測定するといわれる「業の秤」を連想させて迫力を増している。
真夏だというのに、一瞬暑さを忘れさせるようなビジョンだ。
本堂の左手には観音堂があった。
本堂はかなり新しい建物で、まだ築10年くらいしかたっていない感じだ。
向拝は唐破風向拝だが、向拝柱は透かし彫りの彫刻で覆われていて、正直なところちょっと悪趣味。
使っている木材や彫刻の雰囲気、開口部の処理などが午前中に見た永巌寺の本堂とよく似た印象だ。同じ工務店が造ったものなのだろうか。
境内には他に丸窓(えんそう)のついた袴腰鐘楼があった。
実はこの時間帯はかなり暑くて、私は少しバテ始めていた。そのせいで、このあと本来目指していた滝不動に立ち寄るのをすっかり忘れてしまったのである。もっとも近くを通っても気づかなかったので、それほど壮大な寺ではなかったと思う(思いたい)のだが‥‥。
(2001年08月15日訪問)