境内見取り図。氏子の清掃範囲が書かれているのがおもしろい。
なお、左図では建物の名称は見取り図通りに記入してあるが、実際は「秋葉」などは「秋葉社」と解釈すべきだろう。
拝殿はかなり横に長い割拝殿タイプ。
割拝殿とは、中央部が通り土間のようになっていて、通行できる拝殿のことである。
本殿は檜皮葺き三間社流造で、国重文。
三河一向一揆の起きた年代に焼失し、再建されたものだという。
本殿の左側には、顕彰社(写真中央)、秋葉社(写真左奥)がある。
まだかなり風花が舞っているのだが、粒が細かくなってきたため、写真を縮小するとほとんど見えない。
通常、神社に奉納される供物は米や酒などであり、調理せずに神前に備えるのだが、一部の神社では調理してから神前に供える場合がある。そのときに調理をする建物が神饌所だとされている。
だが、外見からしてそんな建物には見えなかった。もし加熱などの調理をせず、三方などに盛るだけであれば、「神饌所」ではなく 六所神社 にあった「御供所」という名称が適切だ。でも、わざわざ札がかかっているのだから神饌所なのだろう。
この手の社殿についてはもっと見る眼を養わねば…。
本殿の右側には「うなり石」というものがあった。伝説があると案内板には書いてあったが、具体的にどんな伝説なのかは書かれていない中途半端な説明だった。
玉砂利を持ち帰ると、交通安全、旅行安全などの霊験があるという。
神楽殿。
社務所。
(2002年02月11日訪問)