土呂八幡宮。
上地八幡宮から西へ300mほどにある神社。本当は先にこの神社へ寄るつもりだったのだが、目測をあやまって上地八幡宮へ先に入ってしまったのであった。二つの神社はそれほど近くにある。
境内案内図。
境内は起伏があり、雑木林になっていて、その中に社殿が点在している。
何と言っても「大仏殿」という表記が気になる。先にそちらのほうへ進もう。
大仏殿への道の途中にあった土呂天神社。
敬虔な老婦人が寒いなかを参詣していた。
なお、土呂天神の「土」の字は、ノボリでは「圡」と表記されていた。
さらに進むと大仏殿がある。
土呂八幡宮は一向一揆で焼失したが、それ以前には神宮寺があり、大仏はその神宮寺のものだったと伝えれれている。土呂八幡宮の社殿が江戸初期に再建されてからは拝殿に本地仏として祀られ、明治の神仏分離で分詞されたものだという。
続いて本殿のほうへと進む。
鳥居から本殿方面へは緩い下り坂になっている。神社では鳥居から本殿へ向かって石段を降りるという建物の配置をときどき見かけるが、寺ではこのような配置は少ないように思う。
拝殿。
遠目に見せられたら「寺?」と言ってしまいそうな入母屋の建物だ。
本殿は上地八幡と同じ檜皮葺きの三間社流造らしいのだが、修復工事中でまったく見ることはできなかった。
再建年代も同じなので、おそらく上地八幡と同じような本殿だろうと思う。
案内図に「倉庫」と書かれていた建物。
そんなミもフタもない言い方をしないで「宝蔵庫」などと言ってあげたい。
白山社。
コンクリ基壇の神明造の小社である。
ちょっと苦手なタイプかも…。
神楽殿。その左側はポンプ舎。本殿の防火設備である。
林の中を進んでいくと、稲荷舎(手前)と秋葉社(奥)があった。
先ほど立ち寄った上地八幡宮とここ土呂八幡宮はいずれも一向一揆で焼失した歴史を持ち、本殿も似ているのだが、境内の感じはかなり違う。上地八幡はトラッドな感じの、いかにも神道らしい厳(おごそ)かさのある神社だが、土呂八幡はカジュアルで土俗的な感じの公園みたいな神社だ。
境内を一回りして大仏殿のあたりまで戻ってくると、いつのまにか空が晴れ渡っていた。
大仏殿のまわりには梅園があり、紅梅が咲き誇っていた。
(2002年02月11日訪問)