帰国の日。
仕事上の最後の打合わせがヤンゴン市内であったのだが、待ち合わせ場所の近くに知っている寺があるので少し早めに行って寺参りをすることにした。
2000年に小嶋独観さんと一度訪れたことがある寺だ。観光で多くの人が泊まるダウンタウン地区からも近いので、ヤンゴン観光で時間があまったときなどに行くといいかもしれない。
山門を入ると、100mほどの仲見世が続く。
仲見世では主にお供え物の盛りカゴを売っていた。
この青いバナナとココナツの盛りカゴは、ミャンマーでは仏陀に奉納するよりも、その周辺の天部の神や、ナッの修験者の像にお供えすることが多いように思う。
パゴダへの入口へとついた。
外国人は右に見える履物預かり所で料金を払ってサンダルを預ける。
境内のほとんどを占める黄金のパゴダは、前室というか回廊のような建物が接続しているため、全体の構造が分からないままパゴダの内部へ入ることになる。
途中、セキュリティゲートがある。ヤンゴンでは、お寺やショッピングセンター、ホテルなどによくセキュリティーゲートがあるが、ほぼ全員ブザーが鳴るか、ブザーがまったく鳴らないかだ。もちろんブザーが鳴ったからといって、ボディーチェックされるわけでもないし、飾りみたいなものである。
パゴダの内部へ入っていく。
壁といい天井といいすべてがキンキラキンである。前回来たときは、モザイクミラーだったと思うが、ゴールドにアップグレードされたようだ。
内部は折れ曲がった細い廊下になっていて、くねくねと進むうちに方向がわからなくなる。
途中で遺物の展示場のような部屋があった。
ボータタウン寺院は第二次大戦で爆撃を受けて崩壊し、そのせいで創建当時の遺物が出土したとも言われている。これがそれらの遺物なのだろうか。
お坊さんが床に座っていた。
躊躇なくお布施する人々。
手前の女の人が取り出してるのは、500チャット札だ。ちなみに現在ミャンマーには硬貨はなく、1チャットまですべて札である。
500チャットは為替レート的には40円だが、必ずしも実感とは合わない。ミャンマー人にとっての500チャットは、たぶん日本人にとっての100円くらいの重みはある。
遺物は仏龕や仏塔だった。
迷路みたいな小部屋をどんどん進んでいく。
途中、ミャンマー人が押し寄せて写真を撮っている小窓があった。ちょうどパゴダの中心軸にあたる場所だ。
ボータタウン寺院の秘宝、仏陀の聖歯や聖髪を収めた空間なのだろう。
私も順番を待って覗いてみたが、上下左右キンキラキンの空間があるだけでよくわからなかった。
このあとも同じような廊下が続く。似たような造りなので、360度一周したのに気付かず、あやうく二周目に突入するところだった。
目が黄色でおかしくなりそうだったので、パゴダの外へ出てみた。
これがボータダウンパゴダのメインの仏塔。
空を覆うように仏旗がはためいていた。
仏塔の周りにも細々としたものが。
仏塔とペアで立つタコンタイには、タコンという筒状の飾りが大量にぶら下がっていた。
こんなにたくさん下がっているのは初めて見た。
仏塔の南側には
放生池とは、魚を逃がす(=放生する)ことにより功徳を積むという装置である。
もちろん、放生するためにあらかじめ捕えてあるわけだから、魚にしてみればいい迷惑である。
この池には魚のほかにカメやスッポンもどきもいて、放生だけでなくカメの餌やりもできる。
池に魚を逃がしたら、バケツは返却する。
このエリアには小さなお堂があり、仏陀以外の者たちが祀られている。
これはナッの行者かナッ神であろうか。
みんなここで写真を撮っているし、お供えも他の神さまより多いので、人気のある神さまなのか。
ココナツの盛りカゴ。
けっこう値段しそうだ。400~500円くらいするんじゃなかろうか。
でも、いつかこれを奉納してみたいな。
ボータタウンパゴダの境内は、おおまかに2つのエリアに分かれている。北側の半分は仏塔を中心ににぎやかに飾られ、参拝客もたくさんいる。
南側の半分はだだっ広い空間で、たとえるなら小学校の校庭のような場所。ほとんどそちらのほうへ行く人はいない。なにせ、日中は地面が熱くて歩きにくいのだ。
校庭のような場所の片隅に、鎮守の森のような場所があったので、あそこまで行ってみることにした。
入口にはタイル敷きのお堂があり、中に長髪の行者像のようなものがあった。
その下ではおっさんが昼寝中。ネコとミャンマーのおっさんは涼しい場所をよく知ってる。
森の中は庭園になっていた。
ここは全体的に日陰があり、タイルも白いので熱くなく歩き回ることができた。
南側のエリアにある学校のようなもの。
もしかしたら、本当に学校なのかも知れない。
ここには釈迦が仏陀になったあと、二人の行商人に髪の毛を与える場面の大仏ががあった。この二人は仏陀になった釈迦に偶然出会い、あまりの神々しさに食べ物を寄進し、代わりに髪の毛を得、それがミャンマーに伝わってシュエダゴンパゴダに祀られるようになったとされる。
以前、モーラミャインのウージナパゴダでも同様の仏像を見た。時間軸でいうと、釈迦が悟りを開いてから
仏塔のほうへ戻ってきた。
まだ仏塔の外周をひと回りしていないのだ。
仏塔の周りには小部屋がたくさんならんでいる。
小部屋の一つにあった、ゲーム賽銭箱。
下にあるパイプは回転して波を表しているのだろう。
舟に賽銭が入れば願いがかなうという趣向なのだろう。舟は左右に動いたかもしれない。
難易度はあまり高くなさそう。
小部屋の一つにあった、大小のシンウーパゴ。
後ろの大きいほうは左向きだ。どうも左向きのほうが数は少ないような気がする。
手前の小さいほうは右向き。
コブラ光背の仏陀を載せた石柱があった。
ちなみにコブラ光背の瞑想は、仏陀が悟りを開いた直後の出来事なので、時間軸でいうと、①
(2014年12月05日訪問)