川原田の隅野神社

開放デッキ型塩ビパイプ滑り台がある。

(徳島県徳島市国府町川原田)

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きょうも市内の西でタシマめぐり。このエリアにあるフォトジェニックなタシマをすべて見尽くすつもりで、このところ週末には足しげく田んぼに通っている。

川原田集落は、吉野川氾濫原を流れる飯尾川の下流部にある集落。その一角で見かけたタシマである。

ちなみに田んぼの水が濁っているのにお気付きだろうか。こういう田んぼではカブトエビが大発生していることが多い。カブトエビが泥を巻き上げるため水が濁るのだ。

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田んぼの中にタシマがあると、当然田植え機や稲刈り機がそこを避けなければならず、圃場としては使いにくくなる。

だが吉野川氾濫原の農家は不便があってもこのタシマを撤去することはせず、耕作し続けてきたのだ。

逆に墓として見た場合も、これでは墓参りができない不便な墓なのである。

➡ 場所

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なぜこのような島が田んぼの中にできてしまったのかは、まだはっきりわかっていない。文献に当たってもこの墓の形態について書かれているものはあまり見当たらないのである。「地主さん」、「忌串(いぐし)さん」というような言い方もあるようだが、当サイトでは「タシマ(ばか)」と呼ぼうと思う。

日本全国で見たら田畑の中に屋敷墓があることは珍しいことではないのだが、吉野川氾濫原では田畑の端ではなくド真ん中にあることが多く、その数も群を抜いている。

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田んぼのド真ん中に墓がある理由のひとつは、この地域で藍の栽培が盛んだったことに関係するのではないかと思われる。

いま水田になっている場所のほとんどはもと藍畑だ。藍では水が張られることもないから、一年中墓参りができたはずだ。あるいはもともと屋敷があった場所が川の氾濫で住めない土地になり、そこに墓だけが残されたというようなケースもあるのではないかと想像される。藍栽培は川の氾濫と結びついた作目なのだ。

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飯尾川はいまでもときどき氾濫するような川だ。東京などの都会に住んでいたら信じられないことかもしれないが、徳島では小規模な氾濫や冠水は台風のときにはよくあることで、地元のニュースで報道されることすらない。

左写真を拡大してみてほしい。この豪農の藍寝床(藍を発酵させる作業場)の基礎がかさ上げされているのがわかる。この地域では水が出てもこの高さより上までは来ないのだ。水は半日程度で引くので、家屋の被害が出ることもない。

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集落の一角に小さな神社があったので立寄ってみた。

入口にはピカピカの籠り堂が建てられていた。

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籠り堂の内部。

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境内は日当たりのよい広場になっていて、大きな樹が生えている。

写真の左側はクスノキ、右側はムクノキだと思う。

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ムクノキは何ヶ所か枝が折れているが立派なものだ。

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拝殿と集会所。

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本殿は凸型で拝殿と一体化している。

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境内の入口にはお百度石があった。

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集会所の前には滑り台があった。

滑降部が塩ビパイプのもので、このタイプは多くが使用禁止になっているが、この台はまだ現役のようだ。

滑降部の手すりも束柱があるタイプで、年代的には古そう。

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全体のデザインは第十の八幡神社の台と似ているが、滑り出しのグリップが円弧型になっているところが違う。

第十とは近いエリアになるので同じ業者が施工したとも考えられる。

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タラップの踏板はL字鋼を2本溶接したもの。

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滑降部はなぜか曲がってるように見えた。

塩ビパイプと鉄パイプの熱膨張率の違いで歪んだか、あるいは車がぶつかったりしたのだろうか。

当ページの先頭から4枚分の写真の場所は、現在は徳島環状線の道路になっていてすでにない。

(2007年06月09日訪問)

今こそ行きたい日本の神社200選 (TJMOOK)

ムック – 2022/7/26
島田 裕巳 (監修)
本誌は22社、神宮、大社といった社格の観点に加え、地域ごとの特徴的な信仰なども鑑み、訪れるべき神社200社を厳選。その神社ならではの宝物や建築物といった見所を紹介するほか、祭神の歴史や由緒を写真とともに解説します。

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