境内に入ってまずあるのがこの建物。以前の記事ではまだ未完成で「衆寮」と紹介している。
完成した建物を見ると2階建てになっていて、1階は僧房、2階が講堂であった。
建物自体はとくにレーケー風というようなものでもなく、他のお寺にある僧房とあまり変わらないように見える。たとえば最近紹介した中では、ボゥダタダナトゥカパゴダの僧房が、似たような型式だ。
2階に上がらせてもらう。
講堂は大部屋で、誰もいなかった。
奥に祭壇が見える。
祭壇の近影。
このような講堂では最深部には仏陀の像があるのが普通だ。だがレーケーでは仏像を祀らず、「レーケーの祭壇」と呼ばれる9本の尖塔が飾られる。
いままで2度この僧院に来ているがそのことが指摘できていなかった。仏像がないことに気付いたのは、最近レーケーの子院を訪れたときである。
箪笥の上にも小さな祭壇がいくつか並んでいた。
一般的な仏教寺院にあるパゴダは仏陀を表わしているが、この祭壇も仏陀の象徴のか、あるいは、この宗派はそもそも仏陀とは関係がないのかもしれない。
中央の尖塔には五目並べみたいな紋様が描かれた高札が取付けられている。
別の祭壇。
こちらにも高札が付いている。
レーケーのもうひとつの特徴が、この幟旗に書かれたレーケー文字。
これはカレン族の言葉を表記するための文字のひとつである。
カレン州にはカレン族が多く暮しているが、カレン族はさらに小部族に分けることができる。人口が大きな部族として、スゴーカレンとポーカレンがある。
カレン州パアン周辺にはポーカレン族が多い。ポーカレンはヤンゴン周辺のデルタ地帯にも多く居住している。カレン州のポーカレンを東部ポーカレン、デルタ地帯のポーカレンを西部ポーカレンと分別できる。東部ポーカレンと西部ポーカレンでは言語が異なるためである。もちろんスゴーカレンも言語が異なる。
レーケー文字は東部ポーカレン語を表記するために、レーケーの僧によって、19世紀半ばに作られた文字である。先に紹介したキリスト教ポーカレン文字はアメリカ人宣教師によってやはり19世紀半ばに作られたものだ。どちらも比較的新しい文字なのだ。
東部ポーカレン語を表記する文字にはほかに仏教ポーカレン文字、ミャインジーグー文字などがある。
そのレーケー文字を使った寺子屋が開かれていた。
教えている内容は、たぶんお経ではなくて、ポーカレン語ではないかと思う。
レーケー文字はこのように複雑な音声記号がくっついた線の多い文字で、別名を「鶏の引っ掻き文字」などと言われている。
この文字を使用しているのは主にレーケーの信者で、人口は3,200人前後と推定されている。現在 unicode への登録の提案書が提出されているので、いつかスマホやパソコンでも表示できるようになるかもしれない。
信者の若者が先生になって教えていた。
視力検査に使うランドルト環みたいなミャンマー語の文字を見慣れていると、レーケー文字はすごく複雑で神秘的な文字に見える。
生徒のノート。
教科書を見て書き取りをしているのかな。
「この教科書を売ってくれ!」と頼んだのだが、在庫がなかったのか売ってもらえなかった。
文字を持つということは、その民族にとっては強力なアイデンティティとなっているはずだ。なにせ文字を持たない言語もミャンマーにはたくさんあるからだ。
(2017年07月25日訪問)