きょうは徳島市内で滑り台探査をしている。もちろん「滑り台地図」などがあるわけではないから、ドライブマップで市内の公園をマーキングして順番に調べていくわけだ。
ここまでは大漁で大西公園のタヌキ台などの逸品を発見して士気もみなぎる。小さな公園巡りにも力が入っていた。
八万町の入り組んだ住宅街の中で公園を探していて、お寺に行き当たった。
お参りしておこう。
八脚門のあるかなり立派なお寺だ。
名前は圓福寺。
山門をくぐって左側には水盤舎と胎教地蔵。
胎教地蔵ってなんなのだ? 初めて聞いたぞ。
参道の右側には庫裏、納経所と並んでいる。
庫裏は民家風の造りだけれど、切妻妻入りでお寺の庫裏としてはかなりフォーマットを押さえている。
庫裏の左側には納経所。
この建物、徳島県の農家の代表的な造りである、四方蓋造りという様式だ。
納経所というけれど、建物としては方丈かな。
本堂がまた変わっている。
入母屋妻入りで、左右の壁が内側に傾いた構造。
本堂の背後から見ると、背面は外側に傾いている。
徹頭徹尾ひねくれていて、四次元的な本堂といえる。
本堂の裏側は小山になっていて、その中腹に鎮守社があった。
方丈の裏には狭い庭園があったので進んでいくと、、、
その先に、天守閣ふうの建物があるではないか。
いや違うな、むしろ三重塔と言うべきかもしれない。
塔の最上層が宝形造でなければいけないというルールもないからな。
こうやって見上げたら立派な三重塔。
寺の裏山に登ってみた。
山上には忠霊塔があった。
作られたのは昭和3年(1928年)で、アールデコ風の意匠が時代をよく物語っている。
周囲には砲弾型の柱。
裏山からみると、三重塔はどうしても城のように見えてしまう。
じつはこの裏山、戦国時代に夷山城という城があった場所なのだ。この三重塔もどきは、その歴史にあやかって造られた模擬天守なのかも知れない。
(2003年09月01日訪問)