金屋稚蚕飼育所

現役の埼玉式稚蚕飼育所。

(埼玉県本庄市児玉町金屋)

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きょうのお目当ては、JA埼玉ひびきの金屋稚蚕飼育所。4月1日に下調べに来て、今年も稼働しそうな様子だったので、春蚕の準備が始まるであろう日を狙ってきょう5月6日に再訪している。

当サイトではこれまでに群馬県を中心に稚蚕飼育所を200ヶ所ほど訪れているが、この飼育所はこれまで紹介してきたいずれのパターンとも違っている。この飼育所は「埼玉式」という、埼玉県ならではの設計になっているのだ。

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群馬県ではたくさん残っている稚蚕飼育所の施設は、飼育方式として土室育(どむろいく)②ブロック電床育③大部屋棚飼い④大部屋ロータリー式に分類できる。

群馬県以外の稚蚕飼育所は残存数は少ないものの、技術的には長野県の⑤天龍育と⑥長野式、埼玉県の⑦埼玉式、および、戦前に全国に点在した⑧回廊式という形式がある。この飼育所は埼玉にあるので「埼玉式」の一種であろうと推測してきた。

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それを確かめたくて担当者がいそうな日を狙って訪問したのだ。案の定、戸が開いていて室内の清掃があらかた終わったところのようだった。所長さんがいらしたので、お願いして特別に中を見せてもらえることになった。

これは建物の北面。建物の平面は凸型で、飛び出た部分は管理棟だ。その管理棟の右側に越屋根が2つ載っている。つまり右側に飼育室が2部屋あるということだ。

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管理棟の左側にも越屋根が2つ。

合計で飼育室は4室ということになる。

各飼育室の北側は引き違い戸で、直接飼育室になっている。きょうは清掃と風通しのため北側が開放されている。

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南側は下屋が出ていて、下屋の中は廊下だ。

つまり、南側廊下が緩衝空間になって、飼育室と外界は遮断されている。

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建物の外周は車で周回できるようになっている。

稚蚕飼育所から農家へ蚕を出荷する「配蚕」という日には、荷受けの軽トラが建物の周りに並び、南側の戸板を開いて蚕を迅速に出荷できるようになっているのだ。

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敷地の南西の角には倉庫がある。

おそらくだが、農具の倉庫ではないかと思う。稚蚕飼育で使う道具は消毒するので、飼育所のメインの建物の中に収納するはずだからだ。

いっぽう、畑の土がついたようなものは、飼育所の中に持ち込むと衛生的ではないから別の建物に入れているのだろう。

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メインの玄関。

室内へ入るにあたっては手足を洗う水場と、下駄箱があるが、更衣室などはない。

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玄関の引き戸を開けると、中はすぐに挫桑場(ざそうば)になっている。

稚蚕(1~2齢)の蚕はまだ身体が小さいので、桑の葉を刻んで与えなければならない。そのために桑の葉を刻む作業をする部屋だ。

天竜式挫桑機が3台ある。全盛期には3台でも足りないくらいの作業があったろうと思う。

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ウマが置かれ、「糸網(いとあみ)」という蚕具が掛けてあった。糸網は蚕を食べ残しの葉から分離するのに使う道具だ。

この場所でホルマリンを噴霧して殺菌するために出して並べてあるのだろう。稚蚕は病気に弱いので、飼育にあたって使う道具、室内のすべてを殺菌しなければならない。ちょっとした小道具を殺菌する程度なら、次亜塩素酸水で洗えばよいが、床、壁、天井、建物のすべての隙間に至るまで殺菌するにはホルマリンガスで部屋ごと殺菌するしかない。

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挫桑場の横には地下の貯桑場(ちょそうば)へ下りるスロープがある。桑畑から収穫してきた桑の葉の鮮度を保つために、涼しい地下に備蓄するのだ。

台秤やモップが並べてる。これらも殺菌の対象なのだろう。

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規模の大きな稚蚕飼育所では、こうしたスロープがよく見られる。

大人数が一度に行き来するのに、階段では危ないからだ。スロープで運び入れるか、あるいは、ダストシュートみたいな穴から投げ込む方式もある。

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貯桑場の様子。

きれいにしてあるなぁ。

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桑の葉を挫桑場に上げるためのリフト。

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導線がよく考えられ、とても効率的にできている。

稚蚕飼育は時間との競争みたいな面がある。桑を与えるのにかける時間にしても、たとえば1時間かければ、最初の蚕と最後の蚕で1時間成長がずれるといった感じなのだ。

だから大人数がスピーディーに動けるように考えられている。

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挫桑場は建物の中心で、左右に廊下が伸びている。

左右にはそれぞれ2室ずつ、全部で4室の飼育室がある。

廊下にも寒冷紗や遮光ネットみたいなものが吊ってある。おそらく貯桑場で桑が乾かないように掛けておく布だと思う。殺菌のために一時的に掛けてあるのだろう。

続いて飼育室へ入るがその前に、埼玉式飼育所の基本デザインを資料から見ていく。

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埼玉式稚蚕飼育所は、埼玉県蚕業試験場、河野幹雄が昭和27年(1952)に考案した。

群馬県の土室育が同25年、長野式飼育所が26年にそれぞれの地方で考案されているので、この時期は稚蚕飼育所の設計ブームがあったのだ。埼玉式はその最後発である。

飼育室は上図のように、片側に廊下を持ち飼育室の奥は行き止まりで反対側には廊下がなく壁になっている。飼育室内は床張りで、床に火鉢などの暖房器具を置く炉があり、室内全体を加温する。そのため群馬の土室育の蚕棚にあるような扉がない。蚕箔の枚数は15段。

ただし、上図では蚕箔に扉がないが、下図では土室育のような扉が描かれている。

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1~2齢では土室育のように扉を閉め、3齢では扉を取り外して飼育したとされる。1~2齢では湿度を上げるために密閉したのだろう。だが、実際には蚕箔の上にパラフィン紙を載せることで湿度は確保できるので、扉は不用になり後期型では廃止されたのではないか。先の図では「埼玉式(改良型)」とあるのは、蚕棚が開放型になったことを示している可能性がある。

特徴的なのは天井と屋根の構造。天井には断熱材が使われ、室内の温度を保ちやすくなっている。断熱を重視したのが埼玉式の特徴だとされている。ただ、気になるのは図では北側は「厚壁」になっているのに対して、金屋稚蚕飼育所では引き違い戸になっていて飼育室の前後を開放できることだ。これはホルマリン消毒後の換気の便宜のためではないか。

床に切られた炉の直上には換気用のベンチレーターがあり屋根上に排気する。木炭の火力で加温すると、換気が悪いと一酸化炭素濃度が上がり作業者の健康を害する。実際、稚蚕飼育所で一酸化炭素ために頭痛がしたという話を聞く。

だがこの仕組みを見ると、戦前に全国に造られた回廊型稚蚕飼育所と共通点が多いと感じる。

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特に、屋根の平部にベンチレーターがあるという造りは、上図の群馬県勢多郡の例がある。

埼玉式は戦前の稚蚕飼育所をモデルにしつつ断熱を重視ししたことと、北側の廊下を省いたものと言える。

構造的に見ると屋根の平部にベンチレーターのための穴を開けるので雨仕舞いは悪そうだ。加温方法が電熱やボイラーに変わってからは、ベンチレーターは省略されたのだと思う。

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では、金屋稚蚕飼育所の飼育室を実際に見てみよう。

廊下から飼育室にはガラス製の桟戸がはめられている。外側の掃き出し窓もガラス戸なので、採光を想定した設計になっているようだ。

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蚕の飼育には実は太陽光線はほぼ必要ないので、採光は重要ではない。

飼育所が建てられた時代にはあまりよい照明器具がなかったのだろうか。

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いや~すばらしい!

夢に見た埼玉式飼育所が、現役の姿でいま目の前にある。

現役の稚蚕飼育所を見学するという機会自体がとても貴重なのに、全国にここ1ヶ所しかないと思われる埼玉式の飼育所なのだから興奮が止まらない。徳島から出向いてよかった~~

JA埼玉ひびきのの所長さん、ありがとうございます。しっかり見させてもらいます。

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興奮さめやらない状態だが、気を持ち直して施設のディテールを見ていく。

床には炉が2つ切られている。

蚕棚は開放型だが、敷居や鴨居が残っているので、当初は戸板があったことが確認できる。

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現在は灯油ボイラーによる熱交換式の暖房なので、炉は使われていない。

作業時には人が落ちないようにフタをするが、いまは内部まで消毒するためにフタは外してあるのだろう。

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炉の直上には換気用の天窓がある。

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天窓を開けたところ。

先の図面では煙突状の換気塔になっているが、現在は換気扇とダクトで大棟の気抜きにつながっているのではないかと思われる。

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よく見ると、蚕棚の下にも炉の痕跡がある。土室育のように運用したことの証拠でもあろう。

こうした遺構からしてもこの飼育所は、改良型ではない初期型の埼玉式と考えてよいと思う。ネットにはこの飼育所の竣工を昭和39年と書いている記事があるが、もっと古いような気がする。根拠があって言っているわけではないが、昭和39年なら電熱式で始めそうな気がするのだ。昭和29年の間違いなのでは。

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他の飼育室には桑つみ籠が並べてあった。

これもホルマリン消毒のためだ。

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四角い竹籠がめずらしい。

天竜式挫桑機とセットで使用する容器だ。挫桑機から刻まれた桑の葉が吐き出されるのを上手く受けるように作られた専用の籠だろう。

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最終的な給桑の際にはこのプラスチック籠が使われる。

プラ製品は風袋に偏差がないから、ハカリで給桑量を計るのにちょうどよい。

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現在の暖房に使われているボイラー。

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床下換気口はフタ付きで開け閉めできる。

この日は開けてあった。

もしかして、床下にもホルマリンを吹き込むのか?

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建物の北側の凸部は管理等になっている。

ここは時代が新しいので、増築か改築したと思われる部分だ。

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管理棟(更衣室)への入口。

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管理棟の北側1階は食堂になっている。ここは下足のまま利用する。

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1階北角の下屋部分にある炊事場。

埼玉式稚蚕飼育の給桑回数は教科書によれば1日3回で、勤務時間が長いので、食事を作れるようになっているのだ。

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更衣室。

更衣室は食堂と挫桑場をつなぐ間取りになっているので、外から飼育所に入るときにこの部屋で着替えることができる。ただし、男女別になっていないし手足を洗う場所もないし窓も多すぎる。

なんとなく本来は休憩室として設計された部屋ではないかという気がする。

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食堂から、2階階段、トイレ、浴室へ続く通路。

通路突き当たりの扉は挫桑場につながっているが、途中に床が張ってあるから通り抜けには適していない。

トイレと浴室は管理棟と飼育場所の両側から利用する設計なのだろう。

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浴室。洗濯機が置は作業者の白衣などを洗濯するために必要だ。バスタブは現在は使っていないみたいだ。

2階は宿直室と思われるが、現在は泊まり込みで勤務することはなさそう。

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このあと桑園の様子を見に行った。

➡場所

桑の葉の伸び具合を確認するのだ。

掃き立ての予定は例年、桜の開花日などをもとに決める。数日後には蚕の卵が届くので、もう予定は変更できない。

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桑の高さは根刈り。剪定は夏切りである。

所長さんにお願いして、後日、飼育所の作業も見学させてもらえることになったので、ページを分けて紹介しよう。

残念ながら、金屋稚蚕飼育所は2022年3月で閉鎖になった。

(2011年05月06日訪問)

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