国道11号線から吉野川左岸の堤防の道路を河口に向かっていくと、湯あそびひろば川内温泉という昔ながらのスーパー銭湯がある。郷愁を感じさせるスーパー銭湯で遅い時間にときどき利用している。
さて、そのスーパー銭湯の少し手前に、堤防道路が不自然にカーブしている場所があり、そこに未舗装の枝道があるのが以前から気になっていた。
4月の陽気のよい休日、堤防道路に車を駐車してこの道を歩いてみることにした。

いくら四国には古い風景が残っているとはいえ、徳島市内に未舗装の道路があるというのはちょっと驚くことなのだ。道の両側は藪が続き、見えるのは乾いた砂地の路面と樹と青空だけ。一瞬いま自分がどこにいるのかわからなくなる。
この道はおそらく江戸時代の海岸線に作られた防潮堤の遺構だろうと思う。この辺りの地名を「小松新田」といい、文政年間に開発された新しい土地だ。現在の小松海岸は東に500mほど離れているが、かつてはこの辺りまで海だったのではないか。この道の左側が開拓地なのだ。

四輪車の轍がついているから農業車輌などが現在もこの道を利用していることがわかる。ただし、普通乗用車で走ろうというような道ではない。

道は周囲の田畑よりも少し高くなっている。

植生は、、、ギシギシなど。
見るべきものがあるのかどうか、私にはまったくわからない。ただ記録しておく。

セトウチマイマイと思われる陸貝がいた。

吉野川堤防から350mほど入ったところに小さな神社があった。名前を小松岡神社という。

鳥居の左には社務所、鳥居の右にはお旅所がある。

拝殿。

向拝の大瓶束には可愛らしいヒレが付いている。

本殿は拝殿と一体化。
これは覆屋ではなく、内部には部屋があるだけだろう。

神社の境内で見かけた、オオキバナカタバミ。
帰化植物だ。

小松岡神社を過ぎるとまた藪の中の道が続く。

誰にも会うことがない道を歩き続ける。

道がY字路になって、畑のほうへ降りられるようになっている。

外側から土手を見たところ。

周囲は一面にマルチが張られている。
畑の土は砂地なので作目はサツマイモではないかと思われる。

少し草深くなってきた。

また神社があった。
名前は津島神社。
吉野川堤防から900mほど入ったところになる。

拝殿の前には五角地神塔。

こちらは完全な凸型拝殿で、本殿はない。

津島神社から北側は風景が一変する。
防潮堤の上を通ることはできず、防潮堤の外側の道路を歩くことになる。

防潮堤の上には樹がなく、東側の法面は石垣になる。
こうした石垣が700mほど続く。

石積みの様子。
吉野川の南岸の石が使われているようだ。

石垣が崩壊している場所もある。
何度か洪水や高潮で被害を被っているのだろう。

石垣の内部。

これってかなり見ごたえがある開拓遺構ではないの?
市指定有形文化財か指定史跡くらいにしてもいいのではないか。


これは徳島の宝もののひとつだと思う。もっと市民に知ってもらいたい。
念入りに写真撮っておこう。

石垣は宮島江湖川に突き当って終わっていた。旧吉野川の河道のひとつ。

河口部なので水は汽水。

先ほどまで見てきた防潮堤の裏側に小さな池があった。
現在、この池には排水機場がある。防潮堤の内側の農地の
この池の見どころなんだけど、たぶんこれ「

池の入口と出口にそれぞれ水門があり、海の干満に合わせて片側ずつ開閉して、海水を農地側に入れないようにしつつ余計な水を排出するのだ。
この写真は内側の水門。外側の水門があった場所には排水機場が建っているのだろう。

先ほどまで歩いていた防潮堤を裏側から見た様子。

堤の裏側には
この堀も新田開発で防潮堤と一体で整備されたものなのだろう。先人の苦労を偲ぶ貴重な遺構だ。


帰路はこの悪水堀のほとりを歩こう。

海岸近くの沼地ってどんな生きものがいるのだろうか。
これはクサガメかな?
亀はたくさん見かけた。アカミミガメが多い。

アオサギが魚を狙っていた。

畑の中の排水路。
現在は砂地の畑だけれど、これは現代の機械力で客土した川砂で、もとは湿田が広がっていたのではないかと思う。
このあたりでは火力発電所で出たコークスを敷いて地盤にして、その上に吉野川の浚渫で出た川砂を客土して農地を作ったという話を聞いたことがある。

石橋があった。

こういう人を寄せ付けない感じの湿地っていいよね。


長大な素掘りの悪水。

ヤナギモかな。

再び、堤の上を歩ける場所に戻った。
往路で見たY字路のところだ。

往復で約3.5km。
自然豊かな散歩コースだった。
小松新田には2022年に徳島南部自動車道が開通し、大規模な土地改良が行なわれた。ここに写っている風景は神社を除いてすべて失われた。
(2009年04月18日訪問)