本覚寺の観音堂の裏から次の札所、光明庵へ入ることができる。
仏教の参拝は「
光明庵へ登る石段からは、土庄港がよく見える。
石段の右側には十二支の守り本尊、左側には七福神が祀られている。
通路の壁には小さな弘法大師が無数に並んでいる。
ヒサシからマイクロフォンみたいなものがぶら下がっているが、なんだかはわからなかった。
右側通行で石段を上り詰めると、自然に右側の通路へといざなわれる。
どうやら本堂の床下へ入れそうだ。地下霊場か?
床下は通路になっていて、奥側の階段から入った人は、右側の階段から出るような順路になっていた。
一種の地下霊場で巡礼空間なのだが、惜しいことに採光がありすぎて地下霊場独特の手探り感がまったくない。けっこう奇抜な建物なのにちょっと詰めが足りないと思う。通路をクランク状にすれば真っ暗な通路が作れるのに、もっとお金を大切に使ってほしいよ。
地下から出てくると、写真中央の場所だった。
光明庵に先に来たお遍路さんは、この逆の動きで参詣することになるのか。
続いて本堂へ入ってみよう。
入口にはまたも回向柱。
んん? 何か異様なものがある。
ピラミッド状の祭壇がありその周囲に無数の阿弥陀如来(?)がびっしりと並んでいる。
ピラミッドの頂上には三面観音という観音像がある。
本堂の壁は納骨堂になっていた。ここは、本堂というよりも納骨堂なのかも知れない。
本尊への順路というのがあるのでそちらへ進む。
ピラミッドの北斜面には北向き地蔵尊。
回り込んでいくと影になるが、それでも北向きにも窓があるので、真っ暗ということはない。
惜しいなぁ。
どうして暗くしてくれないのか。
本堂の奥壁にあった、本尊の阿弥陀如来と弘法大師。
境内の全景。
本堂前は駐車スペースで停めやすそう。光明庵に駐車して本覚寺のほうへ降りていくのがいいかもしれない。
さて、気になるのは右側の獅子柱頭。世界史の教科書のインドのところによく出てくるので、見覚えがある人も多いと思う。釈迦入滅後、インドがアショカ王の治世に仏教の聖地にいくつかの塔が建設された。獅子柱頭はそのうち、釈迦が最初の説法(初転法輪)を行なったとされるサールナートの地に立てられたもの。
アショカ王石柱のレプリカは国内に何ヶ所かあるようだけど、当サイトで紹介しているのはいまのところここだけだ。
よく見ると、石柱はギリギリ本覚寺の境内に立っているみたいだ。
石柱の横には見守り大師という石仏。石のかまくらに入っている。
光明庵と本覚寺の伽藍配置図(南が上になった地図)。
第56番札所は以前は本覚寺の大師堂だったという話もあり、そもそもこの2つの寺を区別する必要はないのかも知れない。
(2007年10月07日訪問)