赤城久伊豆神社

葺石の大型富士塚がある。

(埼玉県熊谷市石原)

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熊谷市街の西部、赤城久伊豆(ひさいず)神社に来てみた。

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神社のパンフによれば、戦国時代の(おし)城主、成田親泰(ちかやす)が、荒川から行田方面への用水路(現成田用水)を造ったとき、その取水部の水神として久伊豆神社を建立したのが始まりという。

だが元々神社が建てられていた地域が荒川の水害に見舞われたため、少し川から離れた赤城神社に遷座合祀して、赤城久伊豆神社になったという。

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埼玉県の水神としては、現荒川流域には氷川神社、元荒川流域地には久伊豆神社、古利根川以東には香取神社が多く分布しているという。このあたりは久伊豆神社の分布域の最上流にあたる。

境内地は市のふるさとの森に指定されている。

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参道は東側と北側に2通りある。

こちらは東側の参道。

参道の北側には広い無料駐車場がある。ざっくり30~40台くらい駐車できそう。

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東参道の狛犬。

胸筋が力強い。

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参道途中にある水盤舎。

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護符売場。

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神楽殿。

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拝殿。

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拝殿の後部にでっぱりがある。

写真ではぼんぼりの陰になってしまっているが。

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反対側にも同様のでっぱり。

これは御供所とか神饌所といった機能の部屋ではないかと思う。

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拝殿からは中の間を経て、流造りの本殿へつながっている。

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本殿は棟札によれば江戸中期の寛延3年(1750)のものだといい、市指定有形文化財に指定されている。

彩色もある端正な建築で、市指定では役不足な感じもある。

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本殿の後ろには末社の稲荷社。

切妻妻入りの建物は覆屋。

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覆屋には金属の奉納鳥居が打ち付けてある。

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覆屋の中にある本殿。

段ボールの中に素焼きのキツネが詰め込んであるので、かつてはかなり信仰を集めていた末社だったのだろう。

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稲荷社の左には末社のアパート。明神社、諏訪神社、琴平神社、白山神社、天神社の5柱が入居。

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さて、きょうこの神社に来た最大のお目当てはこれ、富士塚である。

大型の富士塚で半面が川原石の葺石で覆われている。こちらは裏面になる。なんだか古墳みたいだ。

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富士塚の正面。

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溶岩を使った橋がある。

ここは登山路ではない。

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登山路は何ヶ所かある。

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大型の富士塚で、登山路が複数あるのって最高だよね!

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川原石葺きと溶岩葺きの境界は石段になっている。

山頂には板碑があり、冨士淺間大神の文字。

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山頂から正面側を見おろしたところ。

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山頂から裏側の葺石面を見おろしたところ。

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社務所はRC造の立派な造り。

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この神社には北側にも参道がある。

こちらの参道は群馬県の三夜沢の赤城神社の方向を向いているという。

久伊豆神社よりも先に赤城神社あったということなので、北側の参道が本来の参道なのかもしれない。

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扁額には唐破風がついている。

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北参道にはユニークな狛犬。

台湾製のようだ。

雄雌の肛門や生殖器も表現されている。

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尻尾の毛並みが分岐して抜いてあるのが独特。

(2023年08月23日訪問)