 
川越と児玉を結ぶ古道「川越児玉往還」。高坂から嵐山へ向かう途中、段丘崖を背にして目立つ鳥居がある。
若宮八幡神社の一の鳥居だ。
 
参道には棹納め所。
 
神社までは200m弱。緩やかな石段が続く。
 
境内入口には真っ赤な両部鳥居があり、神社があることを強く主張している。
 
鳥居の前には4基の庚申塔。
 
左は宝暦13年、右は天和3年。いずれも江戸中期。風化も少なく造形のエッジがしっかりしている。
 
三猿だけの塔は左が延宝8年、右が寛文13年。これは江戸前期で古い。まだ庚申信仰の主尊が青面金剛と決まっていなかった時代の石塔。
庚申信仰では先に三猿が定着したのだ。
 
境内には社務所兼石橋第二公会堂。
 
社務所の横には神庫。
 
社殿はさらに石段を上った先にある。
これは自然地形ではなく、大型の円墳の再利用だ。
 
参道石段の右側に招魂社。
 
左側には水盤舎と札納所。
 
札納所の奥に進むと横穴式石室が開口している。
切石でかなりしっかりした石室だ。
残念ながら柵があり中に入ることはできないが、ボタンを押すと内部にライトが点灯して石室内部が見えるようになっている。
 
 
石室の側壁は石をL字形に切ってズレないように積む「切石切組積」という手法。
 
本殿は古墳の墳丘上あるが、なにせ古墳なので頂上が狭く、左側はバルコニーみたいになっている。
 
拝殿の内部。
奥に本殿が見えている。
 
実際の本殿は覆屋の中にある。
 
覆屋の側面の格子から内部がわずかに見えるが、ガラスがはまっている上に、そのガラスが埃だらけでとても見にくい。
向拝には唐破風、彫刻が多めについた一間社流造りだ。
 
拝殿の左外壁に繭額がある。
明治30年のもの。
ぐちゃぐちゃになっていて元の繭の様子はわからないが、俵型の品種のように思われる。切り繭で内部に綿を詰めたためそのせいで繭の外形が崩れているようだ。
綿なんて詰める必要ないと思うのに惜しまれる。また、日射があたる南側の外壁に取り付けるのはどうなんだ? 北側に移したほうがいいと思う。
 
墳丘上から見た境内の様子。
(2023年01月04日訪問)

