金剛福寺

四国霊場の38番。横並びの伽藍。多宝塔がある。

(高知県土佐清水市足摺岬)

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いよいよ四国の最南端、足摺岬へやってきた。

灯台がある絶壁の岬と、四国霊場38番の金剛福寺が一体となった観光地だ。

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金剛福寺はその前後の霊場と離れているので、巡礼の宿泊地となっていて、門前には旅館が並ぶ。

駐車場は岬とお寺にそれぞれ15台くらいは停められる無料駐車場があるのがありがたい。

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足摺岬の名前は「地団駄を踏んだ岬」というような由来がある。

その昔、金剛福寺は貧しい寺で、住職と小僧が細々と生活していた。あるとき岬に別の旅僧がたどり着いて居着いた。寺の小僧は每日その旅僧に自分の食事を分け与えた。寺は貧しく食べ物の余裕もなかったので、住職はキリがないから旅僧に食事を渡すのをやめるように言ったが、小僧はそれでも自分の食事を運び続けた。

ところがある日、旅僧が修行僧に言った。「これまでの食事のお礼として私の家に案内します」

小僧が旅僧に付いて行くと、岬に小舟があり2人はその舟に乗って海に漕ぎ出した。2人は南の海にあるという観音浄土へ向かって行ったのだった。

寺の住職は岸からその有り様を見て、自分の言ったことを後悔して地団駄を踏んだという。これが足摺岬の地名の由来だ。

平安~室町時代、南の海の沖には観音の浄土があると考えられていて、そこへ向かって自殺的な方法で船出する「補陀落渡海(ふだらくとかい)」という修行がたびたび行なわれた。国土の南端にある岬や熊野で主に行われてきた。ここ足摺は、そうした苛烈な信仰が行なわれた地なのである。

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寺は岬の本当の南端の斜面にあるため、境内は県道に面して横に長く続いている。横長の伽藍配置は密教の古刹によくあるものだ。

山門も県道に面している。

山門の扁額には「補陀落東門」とある。この寺が補陀落浄土への入口ということなのだろう。

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山門は八脚門の仁王門で、仁王像は真っ赤に塗られている。

大胆な塗りだな。

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山門を潜るとすぐに水盤舎がある。

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弘法大師が足摺岬を訪れたとき、海上安全の祈願のために沖にある岩に不動明王を彫ろうとした。そのとき海中からウミガメが現われて弘法大師を背に乗せて運んだという伝説がある。

いまでも海に向かって祈願すると、ウミガメが弘法大師が海を渡ろうとしていると勘違いして浮かび上がるという。

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境内に入ると、平地の大部分を池が占めている。

奇岩を並べた浄土庭園のようなしつらえだ。

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多宝塔のほか諸堂が池の水面に映る姿は美しく、この寺の最大の特徴になっている。

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多宝塔とその前にあるのは護摩堂。

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本堂。

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本尊は千手観音。

見えているのは前立仏かな。

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護摩壇の周囲には十二神将と思われる仏像が並んでいた。

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本堂の右側には愛染堂。

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その右側には鎮守社の権現堂。

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縋破風(すがるはふ)が立派。

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権現堂の前には岩を積み上げて造った胎内潜りのようなものがあるが通行止めになっていた。

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権現堂の裏手には行者堂がある。

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権現堂からさらに左へ行くと鐘楼がある。

2階建ての鐘楼の下部は逓減する斜めの下見板を貼った「袴腰」と呼ばれる造りになっているのが一般的だが、まれにこのような連子窓を付けた塔のような造りになっているものがある。その場合は鐘楼ではなく太鼓楼になっていることが多いが、これは撞木が飛び出ているから鐘楼だ。

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そこからさらに左へ進むと西国33ヶ所ミニ霊場があり、大師堂が見えてくる。

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大師堂正面から。

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大師堂のさらに左には本坊がある。

納経は多宝塔前の納経所があるので、巡礼や観光客が本坊のほうへ来ることはない。

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寺の外、無料駐車場の前の池の中に宝篋印塔があり、渡海僧之碑とあった。

まだ出来立てで由来はわからない。過去の渡海僧を供養するものか。

(2006年11月05日訪問)