ホーム岡山・水車と鍾乳洞を巡る(5日目)

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岡山・水車と鍾乳洞を巡る(5日目)

岡山県央の鍾乳洞銀座ともいえそうな阿哲台で鍾乳洞巡り。特に吸い込み穴型の鍾乳洞は、それを見るだけでも人生観が変わるような経験だった。

広域地図

今回の旅の後半は、岡山県の県央のカルスト地帯である阿哲台(あてつだい)にある鍾乳洞巡り。ほとんどは観光洞だったが、いくつかは非観光洞も含まれる。

ちなみに非観光洞への入洞は基本的に地元自治体への届け出が必要だ。私は届け出をしていなかったので深部へは入らず、すべて洞口を覗く程度とした。それでもヘッドライト付きのヘルメット、予備の明るい懐中電灯、予備の予備としてミニライトを持ち、水がある場合や三点支持が必要な段差や傾斜がある場合は決してそこより先へは行かないというルールを自分に課している。以前にどうということはない洞窟の深部で懐中電灯の電球が切れ、完全な闇の中で方向を失ったことがあり、以来、洞窟巡りには慎重を期すことにしたのだ。

今回の鍾乳洞巡りで特に印象的だったのがドリーネと吸い込み穴型の鍾乳洞だ。ドリーネとは鍾乳洞のような地下空洞が陥没してできた窪地である。地表に窪地があれば底には水が溜まって沼となり、さらに水が増えれば沼から川となって流れ出るというのが一般的だろう。だがドリーネには沼はできない。窪地の底に縦穴が開口していて、雨水や川はすべてその穴から地中に吸い込まれて消えていく。その穴が吸い込み穴と呼ばれるものだ。

さて、私は「人間の生存圏の端」という場所が好きだ。いや「好き」というのは正確ではなく、畏怖に近い感覚によって魅かれるというべきなのかもしれない。たとえば太平洋のような大海の海岸線とか、人跡をはばむ原生の山脈などである。ここから先は人間の住める場所ではない、ここが人の世の終わり、という場所を感じたいのだ。これまでそうした異界は、海や山のように、常に見上げる方向に存在した。だが吸い込み穴は自分の足下の方向に存在する異界だった。

それはいままで見てきた他の洞窟では感じられなかった感覚だ。入洞することよりもドリーネの底に立って吸い込み穴を直視することがポイントのように思う。もし今回たまたま岡山の旅を選ばなければ、この畏怖を経験することなく私は一生を終えていたかもしれない。そんな人生を想像すると、それは不完全な人生のようにさえ感じられるほど、岡山のドリーネは大きな体験なのだった。